何らかの事情で日本に帰れなくなったまま数年、いや十数年たてば、その土地での暮らしにも慣れるだろうけれども、やはり体のどこかで故郷の持っていた湿度感への無意識の渇望は抑えられなくなる時があるだろうとつらつらと感じてしまう、どくろ杯音響フォークロア。架空のアジアの熱風の中に餓死したいというふやけたセピア感覚とは無縁でいながら、しっかりとその異郷の土地?で何年も暮らしていく中で紡いだかの楽曲と音響ばかりなのには、驚かされます。しかも聴き進めていくうちに、改めて「風」という自然現象の不思議さに「はっ」と感じさせてくれる瞬間がいくつもつまっていて、聴くものの意識をゆるやかに麻痺させていく棗独特の音響に身を任せていると今は一体どこにたどり着いてどこの風にあたっているのだろうと、目をつむりながらうつらうつらと風を味わっている自分がいます。ライヴでの「棗」は、ヘドロドロでダビーな庄司の音響処理や,ポトラッチの半分眠っているかのような、霞を静かに蹴る鈴とシタール、F.L.Yの自然現象のように予測できない紫雲エッジギターと、橋の端には落ちそで落ちないドランクン・ブリッジ・ウォーカー、フミノスケのかもし出す、砂塵舞う流雲墜のスローなサウンドが、アルバムとはまた別の味わいがあるので未聴の方はぜひ!
虹釜(360'records,viola,sno) |