柴 那典氏によるアルバム解説:
とても色彩感にあふれた音楽だ。まるで秘められた花園のような、静謐でありながら鮮やかな音が響いている。豊かなピアノの音、ヴァイオリンやチェロが描く自在なメロディ、電子音、ノイズ、そして繊細な歌声。そういうものが、非常に奥深い情景を描いている。
幼少時からピアノを習い、大学ではクラシックピアノを専攻したというmidori hirano。06年にリリースされた初のアルバム『LushRush』では、その経歴に裏打ちされたクラシカルな構築美が様々な方面からの評価を集めた。そして、そこから2年。セカンド・アルバム『クロユリ』には、型に捉われない発想を持つミュージシャンである彼女による、新たな挑戦が結実している。
「前作の『LushRush』では生楽器を多用した曲が大半でしたが、今回はその生楽器の要素を大幅に減らして、そのぶん電子音や即興、ボーカル等の比重を大きくすることで自分が表現し得る新しい音楽の可能性というものを発見できたし、そこから掴んだある種の勘を頼りに模索を続けながら完成にたどりついた、という感じです。ですので、最初からアルバムの全体像を思い描いていたわけではなく、歩いて地図を作るような感覚でした」
新作での進化について、彼女自身はこう語る。アルバムには、イガキアキコ(Violin/たゆたう)、ヨース毛(Cello/ザッハトルテ)、Ryan Francesconi(Guitar、Tambura)などのゲスト・ミュージシャンが参加。特に1曲目の“Terra”では、即興による演奏が息を呑むような緊迫感を与えている。
「“Terra”では二人一緒にブースに入ってもらい、トラックに合わせて二人がセッションし合う形で演奏してもらったのですが、普段から交流のある二人らしく最初から息の合った演奏を何度もしてくれ、本人達も楽しんでくれていたので、その親密性のある音のぶつかりあいが、元々私という全く別種な「個」の中でしか存在していなかった曲を一気にパブリックなものへと引きずり出した感があります。それは今までの作品では経験しきれなかった感覚なので、自分でも新鮮でした。今回のアルバムには自分の色だけで作った曲もいくつか入っているので、“Terra”“Null”“Feathers”のように他者の色が混ざった曲との色彩感の対比が如実に現れたのが、一つの特徴でもあるように思います」
ジャンルや様式によって、midori hiranoの音楽を説明することは非常に困難だ。クラシック、ミニマル、音響系、エレクトロニカ……様々な要素が見え隠れする。そして同時に、そのどれでもない。彼女自身も、「前作を出した時はレビュー等で“ポスト・クラシカル”という表現をして頂いていましたが、今作ではそれも当てはまりそうになくて、自分でも人に説明するときにちょっと困っています。勇気を出して“マキシマル・ミュージック”と言いたいところですが、それがどれだけ通用するのかも正直あまり自信がありません」——と語る。
ただし、彼女の音楽がもたらす感覚は非常に一貫している。重層的な音の連なりには、ファンタジックな映像を思い浮かべさせるような幻想性が宿っている。迷宮のようなその世界にひとたび足を踏み入れれば、透徹とした詩情が散りばめられていることに、きっと気付くだろう。
安易な共感やカタルシスではなく、音によって作り上げられた一つの端正な空間が静かな感動を呼ぶ。彼女の楽曲には、そういう力学がある。一言でその音楽を言い表そうとすると、きっとそれは“美”という言葉になるのではないだろうか。
「私はあくまでも客観性というものを大事にしたいので、あまりに個人的な思いや感情の赴くままに作品を作り上げる事だけは避けているつもりです。毎日を本気で生きていれば、自分であえて意識しなくてもその作品に必要な感情量というものが自ずと含まれていくものだと思っていますし、良い作品/アーティストというのはそれを可能とするものや人であると思っているからです」
こう語る、midori hirano。とてもストイックで、そして凛とした美意識を持ったミュージシャンである。
(インタヴュー・文=柴 那典)
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