野田 努氏によるアルバム解説:
エレクトロニック・ミュージックは境界線を粉砕して、自由に行き来できるジャンルだ。匿名的で、作者がどんな人物か知らなくても音楽そのものは、たとえば失恋の悲しみに暮れている人の魂を慰め、他方では夢見る人の部屋に侵入しては夢をうながすBGMとなる。この世界のいたる場所で録音されるベッドルーム・ポップは、いち部の権力者が支配する音楽界から遠く離れたカオスのなかで、新しい未来を準備している。
Reliqもそうしたカオス=デジタルの大衆運動から登場したプロデューサーのひとりである。いまのところ彼の写真、そしてバイオグラフィー(つまり本名すら)も公開されていない。にもかかわらず彼は——男性ということはわかっているので“彼”と呼ぶが——Serphという名義によってアルバムを発表し、その作品はリスナーの耳を惹きつけ、話題になっている。
Serphの音楽は、エレクトロニカ/IDMというタームで語られるエレクトロニック・リスニング・ミュージックの一種に分類される。それは童話めいたところに特徴を持っている。現実性には目をくれず、ファンタジーの世界とぞんぶんに戯れているようだ。Serphの別世界を好む態度は、彼が影響を受けたと公言している竹村延和もさることながら、海外で高い評価を受けているワールズ・エンド・ガールフレンドや国内で高い人気を誇るデ・デ・マウスといった人たちのセンスともどこかしら共通している。
“彼”の、Reliq名義による初めてのアルバム『Minority Report』は、個性的なメロディを随所で見せながら、物語性の高いSerph名義の作風にくらべると、よりミニマルでアブストラクトな作品となった。フォー・テットやカリブーの作品を思い出すリスナーもいるかもしれない。勢いのある“tea”や美しいダウンテンポの“vale”、躍動的なダンスビートの“mini”といった特別な曲から幕を開けるこのアルバムは、さまざまなアプローチによってリスナーの耳を楽しませるだろう。誘い込むような静けさを持ったふたつのチルアウト・トラック——“pan”と“gem”、少しばかりお茶目な“cafein”、グリッチとピアノとの巧妙なブレンド“distance”、初期のエイフェックス・ツインのように無垢な“continuity”……魅惑的な曲が並んでいる。すべての曲においてアイデアが活かされ、細部で実験しながら、しかし耳障りは心地よい。最後を締める“caprice”は、バレアリックなフィーリングを彼のスタイルのなかに注いでいるようだ。
聴きながら目を閉じようが、空を見ようが、好きにすればいい。しかしReliqの『Minority Report』は無責任なアルバムではない。リスナーの向きが明るい方角になるように作られている。
野田 努 |